レッスンNo.4 いい写真って何?
夫・今回は、夏休み特別講座として、お互いの撮り比べはなし。その代わりに永遠のテーマともいえる「いい写真って何?」について考えてみようと思う。
妻・「いい写真」ねぇ。それ撮るのがプロでしょ。
夫・まぁ、そうなんだけど正直、これって答えないんだよね。計算みたいにピッタリの正解の数字が出るわけではないし。
妻・まぁ、それはそうだね。
夫・例えば普段の仕事でも、自分ではいいと思っても、編集者はそうでもなかったり。その逆で、自分ではそうでもないと思っていたら、意外に好反応だったり。その一方で、デザイナーからは別の反応だったり。ここにクライアントとかが絡んでくると、事態はさらに複雑になってくる。
妻・まぁ、みんな自分の立ち位置から、それぞれ判断するから、ある意味、どれも正解とも言えるね。
夫・そう考えると、カメラマンとしては宿命的に「いい写真って何?」という壁に誰もが一度はぶつかると思う。
妻・ちなみに仕事で、「いい写真撮れた!」と思う頻度って、どのくらいなの?
夫・う~ん、難しいこと聞いてくるね。どうかな、1年に1、2度あるかないか、かなぁ。
妻・えっ? そんなに少ないの!
夫・もちろん、すべての仕事でホームラン狙ってる。ヒットなんかじゃ満足しないし、逆に落ち込む。三振はあり得ないし。ホームランは出せても、やっぱり場外ホームラン出せるのが年に1、2度くらいってこと。最初から自分で自分のハードルは上げとかないと。
妻・なるほど。でも、ホームランと場外ホームランの境界線ってどこにあるの。他人には分からないよね。
夫・うん、基準は自分の中にあるから。他人にはまったく分からなと思う。でも自分ではものすごくはっきり分かるんだ。
妻・へぇ~。なんで?
夫・場外ホームラン出した日の晩は、興奮して朝方まで眠れない。何度も撮った写真が脳裏に浮かんできて、浮かぶたびに興奮してしまって…。その時、あぁ今日のオレ、場外出したんだって思う。オレ、いつも思うんだけど、プロ野球で場外や満塁ホームラン打った選手ってその晩、絶対に眠れてないと思う。ヒーローインタビューの選手見ながらいつも思ってる。まぁ幸せなことだよね。超プレッシャーの中での快打。あの気持ち、プロとして本当によく分かる。
妻・健康には悪そうだね(笑)
夫・まぁそうだけど、個人的には多幸感的不眠症って名付けている。 また野球に例えるけど、特に料理写真は直前までどんな球が放られてくるのか究極分からないし、読めない。そして一瞬でそれを捕まえないと、あっと言う間に目の前を通り過ぎていく。ボックスに1人立つバッターを見ると被写体に向かって身構えるカメラマンに見えてくる。孤独な戦士だよね。
妻・孤独な戦士〜。それカッコつけすぎ! でも、あなたは、いつもたいがい良く寝ているよね。 ついでに言うと、結構イビキうるさいよ。
夫・……あぁ。まぁいいや。仕事写真はいろんな要素絡んでいるし、話が複雑になってくるから、プライベート写真に絞って「いい写真」について考えようか。いい写真の基準も変わってくるし。
妻・まぁ、今日はそうしといてあげよう。例えばどんなのが、いい写真なの?
夫・やっぱりその写真を見た時に、撮影時の感情や空気感とかがよみがえってくる写真かなぁ。物語性があって、一言で言えば、心が動く写真。
妻・異論はないけど、具体的に何か見せてよ。
夫・プライベートでは、やっぱりあの写真かな。ポストカードにもして、年賀状にも使ったしね。
妻・あぁ、うちの娘の生後2カ月ぐらいに撮ったやつね。しかもお尻(笑)。もう10年以上経つね。
夫・自分でいうのもあれだけど、いい写真だった。今でも撮った時の情景とか空気感がまざまざ浮かんでくる。ほかの人にとっては、ただの写真だけど、自分の中では強烈な物語性がある。
妻・物語性?
夫・そう、ストーリーというか、その写真を見ると、人生なり、生活シーンのストーリーが次々に浮かんでくるのがいい写真なんじゃないかなぁ。だから、人によっては卒業写真だったり、家族の記念写真だったりするんじゃないかなぁ。プライベート写真において、「いい写真」って結局のところ、技術の上手い下手じゃないんだよね。
妻・そう考えると、プロの出番ないね。このまま行くと、いい写真はアマチュアが撮っているという結論になりそうな流れだけど…大丈夫?
夫・う~ん、、悔しいけど、そうかもしれない。だからこのwe版「写真教室」も君のような初級者向けなわけだし。例えば、さっきの娘のお尻写真だけど、あれ、仕事だったら撮れてないし、タイムスリップしてあの時に戻れるわけでなはないし。だからもう二度と撮れない写真だよね。唯一無二。世界の絶景とかなら、また行けばいいし、なんなら自分以外の誰かが撮ってるから、それ見ればいいわけだし。
妻・そうだね。そういう意味では家族写真って貴重だね。
夫・普段、あまりに顧みられないし、写真評論家も語らないけど、写真のジャンルの中で家族写真や記念写真って、実はその人にとってはかけがえのない存在。東日本大震災の時、洪水などで流された家族アルバムを失った人が、再びそれを取り戻し、涙しているシーンが何度もTVで流れたけど、あれを見た時、写真の本質を見た気がした。
妻・写真の本質?
夫・人々が一番大切に思っている写真って、プロが撮った写真ではなく、何気ない日常を身近の人が身近な人を普通に撮った写真なんだって。別にプロが撮った写真が偉いわけでもないんだって。頭をこん棒で殴られたような気がした。
妻・そうだね。あれ以降、あなたも家族写真、割と本気で撮るようになったよね。「いい写真」もだいぶ増えた。
夫・そうそう、心入れ換えた。正直、それまで家族写真ってどこかで馬鹿にしてたところがあった。片手でパシャリと一枚押して、はい終了って感じだったけど…。震災以降は、一期一会を意識して、背筋伸ばして撮ってる。やっぱり、それが僕にとって「いい写真」なのかなぁ、結局のところ。
妻・少しは成長したんじゃない。
夫・はい、おかげさまで。
今回の上達3法則
1.その晩、もし寝つきが悪かったら、秘かに喜ぼう。
2.今という時間は、二度と手の届かない過去になる。写真はそれに対するささやかな抵抗。
3.家族写真含め、ありふれた日常写真を侮るな。それはあなたにしか撮れない。
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